FEATURE

熊谷峻 越境するガラス 融合するガラス

<五月晴れの日のこと>

「なんか良いなぁ」ではなく、「これは良いものだ」。それは確信だった。
この美しい物たちを、必ず水金のお店に並べたい。
迷いなくそう思ったあの日から少し月日が経ってしまったけれど、今日ようやく叶おうとしている。

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熊谷峻さんのガラスを見たのはある年の晴れた五月、新緑の木漏れ日の中だった。
ガラスと言う無機質な素材を実に有機的に表した花器やオブジェ。
古代の出土品のよう、とよく例えられるらしい通りに、
彼のガラスは今しがた土から掘り起こされたような摩訶不思議な風合いをして、五月の光の中にあった。

<自分の手から離れたあとに起きること>

彼から聞いたいくつかの事がある。

まずは、この独特の作風に至った経緯について。

彼は元来、土器や青磁といった古い焼き物の風合いを好んでおり、どちらかというとガラスよりも陶芸に興味を持っていたらしい。
それが学生時代にひょんなきっかけからガラス工芸を専攻する事になり、
ガラスという素材の中で土ものの質感を追い求めるような、
独自の試行錯誤が始まったのだという。

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そして、その具体的な制作過程について。

陶芸の技法を参考にしながらの彼のガラスワークは、キルンと呼ばれる鋳造法を基本にしている。

柔らかくしたロウを手びねりで成形し、それを原型に石膏の型を作る。
その時に思い描くのは、彼の中にある、原始的で、潜在的なフォルム。


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時には、仏のような、神様のような何かを形作ることもある。
それは具体的な名を持つ神仏ではないが、自然と手を合わせたくるような形だ。

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知人のすすめで座禅を始めたことが、この素朴な偶像たちを制作するきっかけであったと言う。




次に、この石膏の型の中でガラスを溶かすのだが、ここにも彼独自の試みがある。
ガラスと共に、まるで魔法使いのように金属の粉や土を混ぜるのだ。
そうすることで、1000℃の灼熱によるガラスの対流によって、型の中で気泡や色が踊る。
予測不能の化学反応と、煮えたぎったガラスの動き。

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閉ざされた窯の中で起こるその現象を、痕跡として残すこと。
型から外され、冷え固まった作品に、窯の中での出来事が見て取れるのだ。

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自分の手から離れ、見張っていることの出来ない焼成中の時間、閉ざされた窯の中に思いを馳せることは、「祈ることに似ている気がする」と彼は言った。

<クロスオーバーするということ>

そんな山ほどのプロセスの中で、彼はいつでも様々な音楽に身を委ねている。
時にジャズ、時にヒップホップ、パンクに邦楽。あらゆるジャンル、あらゆる時代を自在に行き来しながら、彼はロウを使い、石膏を使い、土を使い、金属を使う。

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そうして出来上がるのは、新しいのか古いのか、どこの国からやって来たのか、どうやって作られたのか、
何もかもが判然としない、何本ものボーダーラインを越境したようなガラス達。

それらを目にした時、見る者の数だけの原風景がそにある。

(テキスト・画像    國府田 真由)


伊藤敦子の金属 熊谷峻のガラス

12月7日(金)~12月17日(日)

詳細はこちらからご覧いただけます

伊藤敦子さんについて

 

 

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